私の「方丈記」
はじめまして。
能絵師の浅山澄夫です。 このサイトでは、私の能絵作品を中心に発表していきたいと思います。 どうぞ、ゆっくりとお楽しみ下さいませ。
私は学生時代に「方丈記」に出会いまいたが、その時は、現在の能絵を描いている私の姿を予期することはできませんでした。 奇しくも現在は、鴨長明と所縁の深い賀茂氏(古代氏族)の郷の一角にあるアトリエで創作に励んでいます。
17歳で「方丈記」に出会った私は、組織に属して生活を送る生き方を嫌い、また『世界を見て周りたい』という想いに駆られました。 そして、京大受験という目標を止め、世界を放浪する方法について考えました。 『画家という肩書があれば良いのではないか』と思い、東京芸大に入りました。 父の看病にアルバイトをしながらという、苦労の末に入学したものの、その父は亡くなってしまいました。 一年以上にわたる闘病生活でした。(とても辛い経験で、今でも病院は苦手です。)
『長男だから』と、母に懇願され止む無く実家に戻る事になりました。 大学は何も学んでいないうちに退学。 私の計画は大きく狂いました。
家族を支える為に絵画教室を開きました。 画法や指導法などの多くを独学・研究という形で習得しました。 高度成長期ということもあって、数人で始まった受講生は200人近くまでに増員。 働けばそれなりに実を得られた時代でした。 講師の副業等もして資金を貯め、ラジオ講座でスペイン語を勉強、やっとの思いで日本を出たのは30歳前でした。
スペインの美大では古典画法や修復法を習得しましたが、美術館だけでなく美大においても、おびただしい量と質の油彩画を眼にし、同じ土俵に乗っては「太刀打ちできない」事実を発見しました。
同時に、― 日本人の私、日本人としての私の表現 ― を確立しなければならない、という課題を得ました。(これは、海外へ出た人の多くが感じる自問であると思います。)
帰国後、遊学の成果発表のような個展を開いた後、【氷】をテーマに絵を描き出しました。
子供時代、山で水晶を採ったりして過ごした私には、結晶世界は身近な存在です。 この頃、禅を学んでいました。 純粋に、自己完結した姿のような結晶体に、私自身が憬れていたのかも知れません。 事実、人を排して、のめり込むように描きました。 様々な意味で、修行期間でした。
数年かけて30数点を描き、個展を開いた後に、この世界にはピリオドを打ちました。
その後は、海外を観て歩く為のスケッチ旅行を度々しながら、『自分の画題』探し、模索の旅を続けました。
私には丹波篠山住んでいる伯父がいます。 山の幸に恵まれたその篠山は、当時は本当にひなびた所でした。 ただ、商家の人は「都(京都)を陰で支えている」といったような自負を持っていました。(祗園祭りと比べて規模はとても小さいけれど、山車の出る祭りが行われ、町衆の人は謡曲を嗜む、そんな習慣が残っていました。) 丹波各地をスケッチしていた時、切妻商家群の、とある店主の方から「そんなもの(スケッチ)では、この辺の人は驚かんよ」と云われました。
その頃でした、春日神社で神事能「翁」にであったのは。
魅入られ、『これだ!』と思い、絵を描くことに決めました。 でも、能の事は何も知りません。 当初は各地で行われる薪能の取材に明け暮れました。 能面や装束の麗しさに目を見張っていた私は、可能な限りにその美を写実 ― スーパーリアリズム技法で表現していました。 ただ、写真作品とよく間違われ、また『できる(描ける)ことをただ続ける』という世界は、私にとっては進歩が無いように感じられていました。
今のスタイル、線を活かし平面的な表現の中で紋様を遣った描き方を見つけるまで、7年近くかかりました。 面や装束を取材し、謡曲を読み下して意味を理解し、時代背景や物語りに秘められている
史実を汲みとり・・・と、能絵を描く為の探求は尽きることがありません。
紋様一つとっても意味や物語が込められています。 このような複層的発酵を重ねた美学が我国の
文化の姿であり、能はまた、その代表選手でもあります。 「能の絵なんて、売れないから止めなさい」と、当初はよく言われました。 そう言われて、私の天邪鬼魂に火が付いた事も事実です。
私が今日まで創作を続けて来られたのは、私を支えて下さる諸氏(ファン)のお陰です。 緻密な作業を積み重ねる私の創作スタンスは、現在の日本の美術市場には適合しません。 そういう意味では、なるほど、売れない絵といえます。 作品発表の機会を作るのにも、苦労が伴います。 自主発表になるからです。
それでも、日本の文化の担い手という自負を持って、活動を続けて行こうと思っています。
このサイトを通じて、通年、皆様に作品を発表できることは、とても幸せです。
Welcome to the websight ‘Noh-e'.
Work of art by Sumio Asayama.
