物語の解説

ポスターになっている能の物語を、極短く要約してまとめてみました。

能は神話や仏教に関連した縁起・奇瑞(不思議な)のお話、昔から語り継がれてきているお伽話や民話、

「源氏物語」「伊勢物語」「平家物語」などの中世文学から取材したものが殆どです。

愉しいもの、悲しいもの、辛いもの、愛しいもの、晴れ晴れとしたもの、恐ろしいもの… そこは、色々な心地が味わえるお話の宝庫です。 どうぞ、物語の世界で心を遊ばせて見て下さい。


右 近 - 桜葉ノ神
右 近 - 桜葉ノ神

【 右 近  ukon 】 01

鹿島の神職の一行は都に上り、北野の右近の馬場へ花見にやってきます。

今を盛りと咲き誇る桜を見ようと、辺りは花見車でにぎわっています。

一行が昔、在原 業平 (ありわらのなりひら) が詠んだという古歌を口ずさむと、一人の上臈(じょうろう = 貴婦人) が花見車の中から業平の歌をもって返歌してきました。

上臈は北野の森の名所について語りだし、そして、「実は自分は桜葉之神である」と告げ、「月の夜に神楽を見せましょう」と言い残して消え去ります。

夜更けて、一行が待っていると、女神の姿の桜葉之神が現れて、帝の御世を称え、桜を愛でつつあでやかな舞を舞い、やがて雲上へと去って行くのでした。

 

千 手 - 千手ノ前
千 手 - 千手ノ前

【 千 手  senjyu 】 02

平 重衡 (しげひら) は一ノ谷の合戦に敗れ、鎌倉に護送されて狩野介 宗茂 (かのうのすけむねしげ) の元に預けられます。

源 頼朝は、若く凛々しい重衡に同情を寄せ、自分の侍女・千手ノ前を遣わして日々のつれづれを慰めます。

ある雨の夜、宗茂は酒を勧めようと重衡を訪ねます。

重衡は出家が叶わぬことを告げられると、南都(奈良)の寺を焼いた罪業の報いであると嘆きます。

沈んだ心を晴らそうと、千手も琴と琵琶を手にして訪れます。

朗詠を謡い、四面楚歌の詩を引いて項羽と虞妃の姿に自らを重ねて舞を舞います。

重衡は琵琶を弾き、千手は琴を合わせ、束の間の宴を楽しむのでした。

翌朝、勅命によって重衡は都へ送り返されることとなり、千手は涙ながらに後を見送りました。

 

賀 茂 - 御祖ノ神
賀 茂 - 御祖ノ神

【 賀 茂  kamo】 03,35

播州・室 (室津)の神職は都の賀茂神社に参詣しました。

糺ノ森 (ただすのもり)・御手洗(みたらし)の瀬見の小川には新しい壇が築かれ、

白木綿に白羽の矢が立ててあります。

不審に思った神職が、水汲みに来た里女に尋ねると「昔、秦氏女(はたのうじめ)が朝夕、水を神前に手向けていると、川上から白羽の矢が流れ来て水桶に留まりました。

娘が矢を持ち帰り、軒に挿していたところ、懐妊して男児を産みました。

その児と娘、矢で示された別雷神(わけいかづちのかみ)を賀茂三所ノ神と云うのです。」と、賀茂三社の縁起を語ります。

続いて、この川に因んだ和歌を詠み、自分はその神であると告げて消えてしまいました。

しばらくすると、天女の姿の御祖神(みおやのしん)が出現し、舞を舞いながら袖を川面に浸して

涼み取りました。 

『続日本記』では「丹塗の矢」となっています。

賀 茂 - 別雷神ノ里           
賀 茂 - 別雷神ノ里           
和布刈 - 龍 神
和布刈 - 龍 神

【 和布刈  mekari 】  04

早鞆(はやとも)明神(門司)の和布刈神事は毎年師走・晦日の寅ノ刻にとり行われています。

神官が神事に望もうとしていると、海女と漁翁が神前に供物を奉げています。神官が問うと「昔、彦火火出見命(ひこほほでみみこと)が豊玉姫のお産を垣間見たことから、海と陸との通い道が断たれたが、早鞆の神事の日は、神慮によって海蔵の宝も意のままになる」と話し、二人は「龍女(天津乙女)と龍神である」と言い残し、海女は雲に乗り漁翁は波間へと消えました。

神事が始まると、松風の音と共に妙音が響きわたり龍女が現れて天女の舞を舞い、海からは龍神が現れ海底をうがちて潮を退け、海の道を開けました。 

神官が松明を灯し、和布(わかめ)を鎌で刈ってもどると、暫らくして潮が満ち元の荒海となり、龍神は竜宮へと去って行きました。

 

【 翁  okina 】 05 

「翁は能にして能にあらず」と云われるように、能の中では別格に扱われ、

神聖視されています。 

それは、私達の祖先が親しんだシャーマニズムの形を色濃く残している

からです。 

神の霊が降臨する影向 (ようご) の松を背景に、面 (おもて) を付けることによって神と一体化した翁が、民衆に向かい福音を告げる、祝福の瞬間です。

 

田村-坂上田村麻呂
田村-坂上田村麻呂

【 田 村  tamura 】 06

東国から都に来ていた僧は清水寺に参詣し、桜花の下で不思議な童子(どうじ) に出会います。 

童子は寺の縁起を語り、桜月夜を共に楽しんだ後、田村堂の内陣へと消えていきました。やがて威風堂々とした武将姿の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が現れ、勅命を受けて鈴鹿山へ鬼神退治の軍を進め、千手観音の仏力をもって戦勝した様を物語りました。

 

【羽 衣 hagoromo】 07, 25

「羽衣」は能(謡曲)の中でも特にポピュラーな演目です。

能の「羽衣」は三保ノ松原(駿河・するが)が舞台になっていますが、「天 (あま)の羽衣」伝説は日本各地に、風光明美な松林を有する浜辺のある処、また琵琶湖にも伝わっています。

浜の美しさに惹かれ、天より舞い降りてきた天人は羽衣(羽織ると天空へ上れるという、衣) を松の枝にかけて泳ぎ戯れます。  それを見つけた漁師は『我が物にしよう』と持ち去ろうとします。

羽衣を挟んで天人と漁師のやり取りが続いた後、漁師は困り果てた天人を不憫に感じて羽衣を返し、

そのお礼に雅な舞楽を見せてもらいます。

天人は天上界の様子を物語り、美しい三保ノ松原の景色を讃え、国土成就・七宝充満の宝を降らしながら天空へと舞い上がって行きました。

約束を交わす際の、天女が語る「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」を聞いた漁師が、自身を恥じる場面があります。 優美なだけでなく、品格の高さが感じられる、それが「羽衣」の人気の秘訣なのでしょう。

【 夕 顔  yugao 】 08

豊後国 (ぶんごのくに・九州) から都に来ていた僧は、五条あたりで和歌を吟ずる

女人の声に足を止めます。 

その女人は、ここが光源氏の想い人・夕顔上 (ゆうがおのうえ )の住い跡であり、

二人の馴れ初めや、物の怪にとりつかれて夕顔上が落命した様までを語ります。 

僧の夜半の読経に美しい姿の夕顔上が現れ、舞を舞い、回向 (えこう) を喜び、

東雲 (しののめ) の空へと消えて行きました。

 

【 三番叟 sanbasou 】   09

かつては「式三番」(父尉・翁・三番猿楽の番組構成)で演じられていた為、

このような呼び名となっています。 

いづれも、老体の神が現われて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を寿ぐ神事的な

芸能です。

「三番叟」は「翁」と違い、狂言方が務め、「揉ノ段」「鈴ノ段」の構成からなり、「揉ノ段」では直面 (ひためん = 素顔)で舞の形も農耕の様子(田植え・揉撒き)を写実的に現したものなっています。

続いて面 (おもて) を付けて神となり、問答形式の祝言を謡い、鈴を手にして舞を納める「鈴ノ段」を演じます。

 

【 石 橋 shakkyou 】   10, 34

平安時代の歌人・大江 定基は出家して寂昭 (じゃくしょう)法師と号し、大陸へ渡りました。唐・天竺を巡礼した後、清涼山の麓にたどり着きました。 

そこには目も眩むような深い谷があり、石の橋が架かっています。 

法師が橋を渡ろうとすると、一人の童子が現れて

「深さ千丈に及ぶ谷に、橋幅は一尺にも足らず、長さは三丈にもなる苔むした石の橋です。人が渡れるものではありません。」  と引き止め、

「向かいは文殊の浄土。ここで待っていれば奇瑞があるでしょう。」  と言い残して去って行きました。

すると舞楽の音と共に石橋の上に獅子が現れ、咲き乱れる牡丹の花の間を勇壮に戯れながら、祝言の舞を千秋万歳と舞い納めるのでした。

【 殺生石 sessyouseki 】   11

天竺・唐土・日本の三ヶ国にわたって暗躍した妖狐(和名=玉藻ノ前・たまものまえ)の伝説を元にした能です。

玄翁 (げんのう) という高僧が那須野ノ原(栃木県)を通りがかった時、ある石の上を飛ぶ鳥だけが落ちていく様を見ました。 

里の者に聞くと、玉藻ノ前という女の執心が石となり、近づくものの命を奪い、害を成しているということです。 

玄翁が法力をもって供養をすると石が二つに割れ、中から妖狐が現われて「今後は悪事をしない」

と誓い、消えて行きました。

 

【 龍 田  tatsuta 】  12

諸国を巡礼の僧は、南都 (奈良) から河内國 (大阪) へと進む途中に龍田明神へ

参詣しました。 

手前の龍田川を渡ろうとすると一人の巫女が現われて、

「龍田川 紅葉乱れて 流るめり 渡らば錦 中や絶えなん」 という古歌を詠んで引き止めます。 僧が「秋も過ぎて今は薄氷の張っている頃なのに」と言うと、巫女は

「龍田川 紅葉を閉づる 薄氷 渡らばそれも 中や絶えなん」 という歌で答え、別の道を案内します。 

僧が、霜枯れの頃にも関わらず紅葉している樹を見て不審に思っていると、巫女は

「紅葉は御神木であり、私は龍田姫の神霊である。」 と名乗り、社殿の中へと消えて行きました。 

夜が更け、僧が通夜を行っていると、龍田姫の神霊(女神)が現われました。 

女神は龍田明神の由来を物語り、龍田山の風景を賛美し、神楽を奏すると、虚空へと昇って行きました。

 

泰山府君-天人
泰山府君-天人

【 泰山府君  taizanbukun 】 13

「桜町中納言」と呼ばれるほど桜好きの藤原 成範 (しげのり) は、七日しかない花の命を延ばそうと、生物の生命を司る神 ・泰山府君を祀って祈願しました。

桜の美しく咲き誇る成範の庭では夜半に枝が折れる音がして、人が近寄った跡が無いにも関わらず、桜が盗まれていました。 

祈念すると泰山府君が現れて、成範の花を愛する心を褒め、花盗人は天人であると見破りました。 泰山府君は天人に花を返させ、桜花の寿命を二十一日まで伸ばす約束をしました。

 

【 杜 若  kakitsubata 】 14, 31

 諸国一見の旅僧は三河國(みかわのくに)(愛知県)で、沢辺一面に咲き誇る杜若の花に出会い、見惚れていました。 すると一人の里女が現れて語ります。

「ここは八橋という古歌に詠まれた名所。 在原業平(ありわらのなりひら) の五文字を用いて  らころも

       きつつなれにし

         つましあれば

                        はるばるきぬる

                                                            たびをしぞおもふ   という歌を詠まれたのです。」

そして自分の庵に案内してこの夜の宿にと勧めます。 

夜半になると里女は輝くばかりの美しい装束を着けて現れ、「これは歌に詠まれた高子(たかいこ)の唐衣、冠は業平の形見、私は杜若の精です。」 と答え、「歌舞の菩薩の化身である業平の詠む和歌の功徳によって草木までもが成仏しました。」 と舞を舞いながら業平の恋を物語り、夜明けとともに消えて行きました。

 

【 天 鼓  tenko 】   15

天から鼓の降る夢を見た母から生まれた子は天鼓と名付けられます。 

やがて天から鼓が降ってきて、天鼓が打つと、人を魅了する音色を放ちます。

噂が広まり、帝から鼓を召し出すように命が下ります。 

天鼓は従わず逃げますが、役人に捕えられ川に沈められました。 

鼓は帝のもとへ届けられますが、一切音を出さなくなり、天鼓の父が宮中に呼ばれます。 父が打つと、音が鳴り響きました。

悲嘆にくれる父の様を哀れに感じた帝は、川の畔で供養をすると、天鼓の霊が現れて、川面のさざ波に合わせて鼓が鳴り、音曲を奏でました。

 

【 松 風  matsukaze 】   16, 36

旅の僧は須磨浦で一本の松の木に目を留めます。 

土地の者から、在原行平の寵愛を受けた松風・村雨 姉妹の旧跡だと教えられ、

その松を弔いました。   

夜が更け、潮汲み車を曳いた二人の女人と出会った僧は一夜の宿を乞いました。

松の話をする僧に、女人は「自分たちは松風・村雨の霊である」と告げ、行平との

思い出を話すと、形見の装束を身につけて狂おしく舞い始めます。

二人は回向を頼みますが、それは僧が 見た夢の出来事でした。

朝になると、辺りには松風の音が残るだけでした。

【 花 筐   hanagatami 】   17 

越前国 (えちぜんのくに) に居た大迹部 (おおあとべ) ノ皇子 (みこ) は、即位の為に急に都へ上がることになり、恋人の照日ノ前には別れを告げる文と、神前で愛用していた花筐(= 花籠)が残されました。 

照日ノ前は里に引きこもりますが、皇子への想いは断ちがたく、心を乱して都へと彷徨

(さまよ) い出てしまいます。 

継体天皇(6世紀初頭)となられた皇子は紅葉狩りへ出かけますが、その行列にみすぼらしい姿の女人が身を乗り出し、従者に咎められます。 

変わり果てた姿に誰も気づきませんが、花筐の謂れや身の上を話し、その花筐をご覧になった天皇は照日ノ前であることが判り、同じ車に乗せて、一緒に都へ帰られました。

 

【 吉祥天龍神図   kissyoutenryujinzu】 18

 2011年の春は甚大な被害をもたらした、東日本大震災が起こりました。 

私の、画家として何ができるのだろうか ― と悶々としていたところ、夢の中で

『鎮魂・救済・復興の象徴神を描きなさい』とのお告げを夢で得ることができました。 平素は能の物語世界を描いている私ですが、初めて仏様をテーマにした作品を描きました。  被災した方々の御心が少しでも和らぎますよう、今後の復興の道程が無事でありますようにとの祈りを籠めて、除災・招福・富貴・繁栄のシンボルである吉祥天を描きました。 龍神は吉祥天の守護。 龍神の如く、しっかり眼を開いて物事を見つめ、強い心で物事に臨みたいものです。

― 震災の記憶を風化させない為には何が良いだろうか… そのような思いから、新作能を作る事を思いつきました。 鎮魂の能「吉祥天」を彼の地で上演することを目標にしています。

 

 

【 当  麻  taema 】 19 

熊野三山を参詣してきた行者は、帰路に当麻寺に詣でる事にしました。

寺で老尼と侍女の二人連れに出会います。 

二人は当麻曼荼羅を織った時に使った井戸など、辺りの名所を案内します。 

そして、中将姫の名を言い残すと、紫雲の彼方へ消え行きました。 

門前の男から、蓮の糸で曼荼羅を一夜にして織り上げた中将姫の謂れを聞いた行者は、経を上げることにしました。 

しばらくすると、妙音と共に光が輝き出し、菩薩に化身した中将姫が出現しました。 

姫は御仏の功徳を説き、ひたすらに念仏修行するように伝えます。 

鉦の音と共に春の夜は明けて行きました

 

【 猩  々  syoujyou 】  20   

唐土 (もろこし)・楊子 (よおす) ノ里に親孝行で名高い者が居ました。 

その高風は夢のお告げの通りに市に出て酒を売り、富貴の身分に成りました。 

また、市毎に店に来て酒を飲みますが、いくら飲んでも顔色の変わらない者がいます。尋ねてみると「海中に住む猩々だ」と言い残して去ります。 

高風は月の美しい夜、潯陽 (じんよう) ノ江のほとりに菊ノ酒 (= 不老の酒) で満たした酒壺を出して猩々を待ちました。 

月が高くなった頃、猩々が現われ、美しい眺めを愛でながら二人で楽しく酒を酌み交わします。 

猩々は高風の素直な心に感心し、『汲めども尽きぬ酒壺』を与えます。 

酔いの覚めた高風は夢の出来ごとかと思いましたが、そこには酒壺がありました。

高風の家は末永く栄えたそうです。

 

【 岩 船  iwafune 】    21

時の帝は摂津国・住吉浦に市を開き、唐・高麗からの宝物を入手するよう宣旨を下されました。 勅使が住吉へ来てみると、言葉は日本語ながら唐人の姿をし、宝珠を載せた銀盤を持った不思議な童子が現れます。

童子は「めでたい御代 (みよ) を寿 (ことほ) いできた。 宝珠を君に捧げる。 天はこの代を讃えて宝物を岩船に積み、ここへ漕ぎ寄せるとこだ。」 と言い、自分は岩船を漕ぐ天ノ探女(あまノさくめ)であると明かして消えていきました。

やがて、岩船を守護する龍神が現れ八大龍王を呼び寄せると、共に岩船の綱手を取って岸に引き寄せました。 船に積まれた金銀宝珠は光輝いています。

 

【 熊 野  yuya】   22

熊野は遠江 (とおとおみ)・池田ノ宿 (しゅく) の長 (おさ) ですが、平 宗盛 (むねもり) の寵姫となり長く都に留め置かれています。

池田からは、病に伏した母からの帰郷を促す使いが訪ねてきます。

熊野は帰国を願い出ますが、宗盛は許しません。

その上気晴らしにと、清水寺への花見の共を命じます。

母を案じる熊野は観音様に祈りますが、宴席で舞を舞うよう勧められます。

舞の最中、村雨が降りだすと熊野は散りゆく花に母を例えた歌を詠み短冊にしたためます。 

それを見た宗盛はさすがに心を動かされ、帰国を許し、熊野はその場から東 (あずま) へと帰っていきました。

 

【 三 輪  miwa 】   23

三輪の山奥で修業中の僧・玄賓 (げんぴん)のもとには、毎夜、御水と樒 (しきみ) を携さえて通ってくる女人がいました。

ある夜のこと、女人は「秋の夜寒に衣を一枚下さい」と頼みます。

玄賓が衣を与え何処から来ているのかと問いただすと、

「三輪の山元。 杉立つ門(かど)を印に訪ねなさい。」  と言い残して消えて行きました。

玄賓が訪ねて行くと、杉の枝には与えたはずの衣が掛かっており、和歌が書かれています。  その歌を詠んでいると、杉の影から女姿の三輪明神が現れました。

明神は三輪の妻訪 (つまご い神話や天の岩戸開きの様を物語り、神楽を奏して舞を舞い、空が白むと共に消えて行くのでした。

 

【 野 宮  nonomiya 】   24

諸国を巡り都へ来た旅僧は嵯峨野の野宮の旧跡を訪ねました。

そこで一人の美しい女人と出会います。

女人は「今日は長月7日。 御神事を行うから早く帰るように。」と言います。

僧が訳を尋ねると、「ここは六条御息所 (ろくじょうの)みやすどころ) が斎宮(さいぐう)に上った息女と一年を過ごした処。 そして光源氏が訪れたのは今日のこと。」 と告げ、

自分は御息所であると明かして鳥居の影に消えて行きました。

御息所の話を聞いた僧は回向をします。  すると傷 (いた) んだ車に乗った御息所が現れます。

賀茂祭で葵上 (あおいのうえ = 光源氏の正妻)との車争いに破れた屈辱を嘆き、優雅に舞を舞って見せながらも、「いつまでも恋の想いに囚われて成仏できない」と言い残し、また車に乗って去って行きました。

 

【 竹生島   chikubushima 】   26

延喜帝(醍醐天皇)に仕える朝臣(あそん)は竹生島弁財天へ参詣するため琵琶湖畔に来ました。  丁度、翁が若い女人を伴い舟を出していたので便船を頼みました。

翁が朝臣を神前に案内すると、伴の女人も付いて来ます。

朝臣が「この島は女人禁制」と不審がると、「弁財天は女神である」と答え、島の由来を語ります。 そして「自分たちは人ではない」と告げて女人は社殿の内へ、翁は波間へと消えて行きました。  やがて社殿が鳴動して、光り輝き、妙音とともに弁財天が現れて舞を舞います。

湖上には龍神が出現し、朝臣に金銀宝珠を捧げて 「弁財天と龍神は仏が衆生を救う為の形である」と告げ、国土鎮護を約束して弁財天は社殿の中へ、龍神は湖水の中へと去って行きました。

 

【 敦 盛   atsumori】   27

源氏の武将・熊谷直実は一の谷の合戦で年若い平家の公達(きんだち)・平敦盛を討ちとりますが、以来、無常感に囚われ出家をして蓮生(れんしょう)と名乗ります。

蓮生が敦盛を弔う為に一の谷を訪ねると、何処からともなく笛の音が聞こえ、草刈り男の一行と出会いました。  他の者が帰っても一人だけ残っているのを不審に思っていると

「自分は敦盛の霊である」と告げて消え行きます。

蓮生が念仏を唱えて弔いをしていると、敦盛の霊が現れます。

平家一門の栄枯盛衰を物語り、笛を吹いて最後の宴のことを懐かしみます。  敦盛は仇を討とうとしますが、後生を弔ってくれている蓮生はもはや敵でなしと、回向を頼んで消えて行くのでした。

 

【 井 筒  idutsu】    28

旅僧は奈良の在原寺(ありわらでら)に立ち寄りました。 

ここは、在原 業平(なりひら)夫婦が暮らしていた処だと聞き、弔うことにしました。 

すると女人が現れて、井戸の水を汲んで古塚に手向けています。  

僧が尋ねると、「この塚は平安歌人・業平の墓で、花水を手向けて弔いをしています」と答え、業平の恋の話しや夫婦の慣れ染めを物語り、「有常の娘とも、井筒の女とも呼ばれたのは私です」 と明かして、井筒の陰に消え行きました。

僧が弔いをすると業平の形見の冠を着けて装束をまとった井筒の女が現れて恋慕の舞を舞い、月光の下、井筒の水面に自分の姿を映して、業平の面影を偲ぶのでした。

やがて夜が明けだすと、そこは松や芭蕉葉にそよぐ風の音が聞こえるだけでした。

 

【 嵐 山   arashiyama ]    29

吉野の桜が盛りと聞き、嵯峨帝の勅使は嵐山に見分に行きます。

嵐山は吉野・千本(ちもと)の桜を移したものです。

勅使一行は桜の木の下を清めて祈念している老夫婦に出会います。

勅使の問いに「私達は花守です。この桜は吉野山の木守と勝手二神の御神木です。」と答え、嵐という名であっても花は散らさないと語り、実は自分達は木守・勝手の神だと告げて雲に乗り吉野の方へ飛び去りました。

やがて蔵王権現の末社の神が現れて一行をもてなすと、神のお姿の二神も現れ嵐山の美しさを讃えて舞楽を奏します。  続いて蔵王権現も現れ、衆生を救い国土守護の誓いをします。

木守神・勝手神・蔵王権現は呼び名が違うだけで一体であると言い、嵐山の桜花に戯れ、光輝く春の盛りに御代の栄を言祝ぎます。

 

「藤   fuji」   30

 旅僧は砺波(となみ)ノ関(富山県と石川県の境、旧北陸道の要地)を越え善光寺を目指し、多枯(たこ)ノ浦へと辿り着きました。

ここは藤の花の名所、僧が

「おのが波に同じ末葉のしをれけり 藤咲く多胡のうらめしの身ぞ」 と古歌を口ずさんでいると、美しい女人が現れ「吟ずるならばこちらの歌でしょう。  

多枯の浦や汀の藤の咲きしより 波の花さへ色に出でつつ」 と披露し、自ら藤の精であるとほのめかして消え行きました。 里人から話を聞いた僧が藤の下で仮寝をしていると花の精が 「歌舞をする為に現れて、仏の功徳によって花の菩薩になれた。僧と逢えたのも仏縁。」と告げ、花の美しさや四季折々の辺りの景色の素晴らしさを讃えて舞を舞い、曙色に空が染まる頃、霞の中へ消え行きました。

【江  口   eguchi 】  32

旅僧は摂津から淀川を舟で下り、江口の里の旧跡・江口ノ君堂(寂光寺)に立ち寄ります。「世の中の (いと)ふまでこそかたからめ 仮の宿りを惜しむ君かな」 と西行の古歌を口ずさんでいると女人が現れて

「世を厭ふ人とし聞けば 仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ」 の返歌と

「宿を貸すのを惜しんで断ったのではありません。」 と告げて消え行きました。

遊女だった江口ノ君が普賢菩薩に顕現したと聞き、僧が供養をはじめると、江口ノ君が美しい姿で舟に乗って現れ、身の上を語り棹の歌を謡います。

川舟にこの世を渡る因縁を重ね「仮の宿りに心を留むなとは悟りへ導くための諌めです。」

と言い終えると普賢菩薩へ、舟は(はく)(じょう)変化して光輝く雲に包まれ西の空へと消えて行きました。

 

二人静  futarisizuka】   33

吉野・勝手明神の神職は正月七日の神事に備え、菜摘女を遣わします。

若菜を摘んでいると女人が現われ 私を供養するように神職に頼んで欲しい。」といいます。 菜摘女が名を尋ねると「疑う人があればあなたに()いて名乗りましょう。」 と言い残して消え失せます。

気味悪く思った菜摘女は急いで帰り、神職に告げますが、ふと疑いの言葉を漏らしました。

すると、たちまち女人の霊が乗りうつり、「判官殿に仕えた者」と応えます。 神職が舞を所望し、跡を弔うことを約束すると、女人は宝蔵から装束を取り出させて身に着けて舞い始めました。

そこへ静御前()も同じ装束で現れ、義経の都落ちの苦しい様子や、頼朝の前で心ならずも舞を舞った有様を物語り、菜摘女に寄り添って二人一体の如く舞を舞い、静の霊は弔いを頼むと去って行くのでした。 

※ しづ=縞を織りだした麻布、苧環(おだまき)=機織りに用いる糸を巻いたもの